人を信じることについて

中学の卒業アルバムの寄せ書きに、担任から寄せられた言葉は「人を信じよう!」でした。
当時の私は、特に部活で悩んでおり、悶々と過ごした時期があります。おそらく、親・先生・友人など、周囲の人に不信感をもっていたことを担任は感じていたのかもしれません。
時が流れ、社会に出て心理やカウンセリングを学ぶに連れ、『信じること』は、”自分を信じる”ことに気づくことになりました。
他者に大きく期待せず、見返りなどの条件をつけず、裏切りにあった中でも信じ続けることは容易ではありません。
過去に裏切りで傷ついた経験があれば、同じ辛い思いをしないための防衛反応が働くことは当然のことです。
信頼を寄せている人がどのような行動をとるか、それは、自分自身の責任ではありません。
その行動を見て、自分自身を顧みることになり、その人の何をみて信頼していたのか、自分の見る目を正すことにつながります。
やましい行動をしている人は、何かあった時に他者に対して疑心暗鬼になり、信頼できなくなるようです。
自分にやましいことがなければ、割り切って正々と前に進むことができるはずなのですが…。
信じる力は、不用意な信頼、もたれかかる信頼とは違います。
信頼される人は、上手に他者に頼り、他者が困っている時に助けることができていると感じます。
心の中に沸き起こる思考や感情は、自分にしかわかりません。
今、この時から信じる力を変えることができるのは、自分自身なのだとあらためて思っています。